11/20【追悼】谷川俊太郎先生を偲んで
本校校歌の歌詞は「谷川俊太郎先生」に作っていただいたものです。
今から50年前(昭和49年4月)、花巻北高等学校石鳥谷分校から独立し、花北商業高等学校が誕生しました。その、昭和49年2月7日、当時の花巻北高等学校長 山内源陸先生と哲学者 谷川徹三氏(谷川俊太郎氏のお父様)がお知り合いの縁があり、ご子息の俊太郎氏に校歌の作詞を依頼することになったそうです。当時、谷川俊太郎氏は42歳。多彩に活躍する詩壇の第一人者でした。その俊太郎氏から、「校歌の歌詞を作成するにあたり、直に生徒と接して校歌の参考にしたい」との申し出をいただいて、出会いが実現したようです。
「通学のときはどうなの?」「冬はどうなの?」など谷川先生は優しく語りかけ、自ら多くは語らず「ええーっ、そうか」「すごいねぇ、すごいね」と大きく真剣にうなずきながら、時々ペンを出してメモをとり、微笑みを絶やさずじっと耳を傾けていたそうです。
(花北商業高等学校創立30周年記念誌「ジェネレーションXY」より)
「宇宙的なひろがりを持つ校歌」
谷川俊太郎先生から「ああ、そうか、僕も見てみたいなあ」と深く共感してくれる姿に、夢中になって話していたという記録が残っています。
雪が降り、駅から学校までの通学路が雪に埋もれてしまった朝は、一人ひとりが足で踏み固め道を作って学校までたどり着く様子。
校庭北側のポプラ並木(今はありません)の根本から春に萌えいでる草の青さのすばらしさ。
その時に話されたことが、校歌の歌詞にあらわれています。校歌が完成し初めてその校歌に接したとき、「あの時の私たちの思いがいっぱいあふれている」と感じたそうです。
ただ一方で、当時の校歌では山や川を詠みこむことを通例とされていた中で、この歌詞はには全く使われていないことから、斬新すぎて、上級生の中には自分たちの校歌という感覚を持てなかった者も少なからずあったとか。その気持ちを理解しつつ、当時勤めていた安達教諭が「宇宙的なひろがりをもった、本当に、青春のみずみずしさあふれる校歌をもつことができたことは、大いに誇りに思ってよいのだ」とよく生徒に語っていたそうです。
現在のこの歌詞は、卒業生によって歌い継がれ、「一筋の道をゆく我等」の一節は本校の不変のテーマとなっています。
谷川先生がお亡くなりになったことは本当に残念でなりません。
これからも 本校不変のテーマ「一筋の道をゆく我等」は、歌い継がれその思いは永遠につづくと信じています。
そしてこの先も、谷川先生が作ってくださった校歌を大切に、誇りをもって過ごしていきたいですし、後輩へも語り継いでいきたいと考えています。
谷川俊太郎先生、安らかにお眠りください。ありがとうございました。